たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

不平等ではない社会で「ヒト」は生きていけない。

takechuuu634.hatenablog.com
これの続き。


たとえば。
「今日で会社が無くなります。皆さんの自由なように生きてください。それが皆を平等にします」となったとしよう。このとき(日本であれば)被雇用者が困る姿が目に浮かぶ。

総務省の統計「労働力調査
統計表一覧 政府統計の総合窓口 GL08020103
これを参考にすると、15歳以上人口1億1085万人のうち正規・非正規込めて、82.78 %が被雇用となっている。もし会社がなくなれば、この圧倒的多数の人間が困るのではないだろうか。
つまり、現代社会人は「階層構造の不平等」の生活に適応してしまっている。
これはサルの群れなどにも見られるから、おそらくヒトというのは階層構造の群れで生きる生き物なのだろう、と推察される。

その階層構造が、資本という目に見える形で「不平等」として表現されている。
しかし、その階層構造を破壊すると、大多数のヒトは途方に暮れてしまうのではないだろうか。
「不平等」を無くすことは、階層構造を無くして、すべての決定権を個人で持ち、すべての責任を個人が背負うことになる。それに耐えるほどヒトは強靭には進化していない。


一方で、子どもが同じ状況に入るとしよう。
つまり「今日で学校が無くなります。皆さんの自由なように生きてください。それが皆を平等にします」となったとしよう。これは、子どもが喜んで遊びに行く姿が目に浮かぶ。長期休み期間を前にワクワクする子どもがそうであるように。

平等かつ幸福な状況は、このような子どもにあると考える。
このとき、彼らが喜ぶのは「家」があるからに違いない。
つまり、帰宅すれば食がそこにあり、そしてそこで休むことができる。

この「家」を担保するような状況下で、「会社」がなくなることが、平等かつ幸福に繋がるのではないだろうか、と思う。では、どのように「家」を担保するのか。それが一番の問題で。その「家」を担保するために、階層構造を作っている、と。

どうすれば、ヒトは子どもで居続けることができるのだろうか。
あるいは資源の限界で、ヒトはもう子どもでいることはできないのかもしれない。