たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

ピケティの「21世紀の資本」について思ふ疑問点。

訳者インタビュー記事と幾人かの書評しか読んでいないが。synodos.jp

「r(資本収益率)>g(経済成長率)」
つまり、資本を投資して得られる収益の方が、経済全体の伸びで得られる収益よりも大きいことから、資本をより持ってる方が成長できる、と。

個人的な疑問として。
資本を持っている組織の方が、rを伸ばせる有能な人材を高い給与でして、rが高くなるのではないのか。その「有能さ」の指標はおそらく複雑系であるから示すのが困難なだけで。
ピケティ博士の訴えている「グローバル累進課税」は、「有能な人材」こそ税金をいっぱい払え、ということ。そうなると、「有能な人材」はその不平等から働く意義を無くしてしまうのではないのか。それは、gの低下にも繋がりうると思ふ。

ピケティ博士は「経済学の不平等」の研究者で、その大義として「不平等をなくす方向にもっていく」というのがあるのだろう、と思う。しかし、「不平等」は自然状態であって、それを「平等」にもっていくこと自体が「不平等」になるのではないのか。。。「社会」が目を向けるべきなのは、gの成長の方だと思うが。(ピケティ博士は否定しているけど)

あるいは、「不平等がないこと」が本当に正しいのか、という疑問もある。
ヒトがサルのような「ボスを頂点とした群れ」を構成する生命であるのならば、その「群れ」の不平等は自然状態である。
体感として、大半の人間はリーダーの指示の下で動きたがるように思う。誰かの指示で、その人の責任の下で動こうとしているのではないか。だから、平等になると、きっと大半の人間は困り果てるように思う。(データがないのでわからないけどさ。)



リーダーを頂点としたピラミッド構造の「不平等」という自然状態の中で群れることがヒトの本質である。その「不平等」のない社会に適応できる遺伝子をヒトはまだ保有していないように思う。