たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

銅鉄実験、鉄鉄実験。

銅鉄実験という言葉がある。
銅でできることを鉄でやってみました、という実験のことである。
オリジナリティーがない、ツマラナイ研究の比喩表現である。
もっとひどいのだと、鉄鉄実験なんてのがある。言わずもがな。

かといって、突拍子もない実験をしても評価されない。
〜の技術があって、〜の問題があって、〜しました。
そのような文脈が必要となる。
しかし、この文脈の流れで行った実験というのも、広義の銅鉄実験なのではないか、と思った。
つまり、銅でできることを鉄でするのに「銅と鉄は違うから」と言って無理やりに条件付け加えてみただけ、のような研究がいっぱいある。文脈をぼかして、「(銅ではできるけど)鉄では〜の問題があって」としているような研究もあって、素人目から見れば「銅ではできること」を知らないから巧妙に隠されているようなものがある。

何が言いたいかと言うと。
文脈のあるような研究はすべて銅鉄実験だろ、と思った。。。
かといって、研究者以外に目を向けると、それはもう世間には「銅鉄実験」じみた事象はあふれている。だから研究者だけに厳しく求めるのも間違っている部分はあるとも思う。

人類は、銅鉄実験のような相互に共有しやすい経験をもってして共同体を作り、文化を構築しているのではないだろうか。だから、人と同じ文化を持っている人間は皆、銅鉄実験をしているのだ。つまり、大半の人は実は「ツマラナイ」のだと。

そういう確信を持った。そして、納得した。