たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

男は育児に向いていない、圧倒的に。

男は、スタートとゴールへ設定した経路しか認められない。あるいは、経路外を楽しめない生き物ではないのか、と思った。

僕の電車内社会学

休日。
家族、といっても夫婦と小さい赤子の三人でおでかけをしている家族がいた。赤子が泣き止まないことで、抱きかかえている母は「いったん電車を降りよう」と。一方で、バギーを持つ父は「こんな途中で降りてもしょうがない」と主張していた。
そういう組み合わせをかれこれ3家庭見つけた。

いくつか思うことがある。

1,父が言う「しょうがない」は機会損失だ。途中で降りる偶然を楽しむことが人間には大事なのではないか、と思う。例えば、彼ら自身の生死にかかわるのであれば、最優先事項は決まっているが、そうではないのであれば、余裕を持つことが大事ではないだろうか。

だが、僕の経験上で、余裕を持っている男性は本当に少ない。これは、狩猟に出る男性は、ゴール設定から逸れると、家族や部族が食いっぱぐれる経験からくる遺伝形質ではないか、と考えられる。


2,そのうち2家族では男性がイライラしていた。子供をあやすなりしろよ、と思う。
おそらく、社会(ここでは周りの乗客)への迷惑に対しての見栄を守る行為であろう、と示唆される。これは男性が労働して、女性が家を守るという価値観から生じる事象だろう。
あるいは、母を責めてもどうにもならないことを理解していない無能だろう、と。そもそも母にとって子は同質であるが、父にとっては同質ではない。ゆえに、わが子に同質性を見いだせない父に育児は困難なのであろう。



育児に垣間見える男性の行動は、子が理に叶う行動をとる場合にのみ成立するものであり、理に反する場合にはきちんと考える力が必要。しかし、世の男性は未だに考える力を身に着けていないことが残念で仕方ない。