たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

「死ね」に論理を持たせる試み。

web上で、とあるライターの記事に「死ね」とコメントしている人がいた。見た瞬間に、論理性まったくないな、と感じた。そして、思った。
どうすればロジカルに「死ね」と言えるのだろうか。

罵詈雑言の類は、凡そ、感情の高ぶりあるいは純粋無垢な嫌悪から生じるのではないだろうか。感情の流れには、論理が伴わない。それゆえ、納得されにくいように思う。ならば、論理の折り目正しい罵詈雑言であれば、納得されうるのではないだろうか。
一方、聞き手が罵詈雑言に、罵詈雑言で返答することも考えられる。その時には、きちんと論理を求めて一蹴すれば良いように思う。あるいは、暴力での返答も考えられる。その際には、暴漢術を学んでおいていただきたい(※簡単に言えば、相手を怯ませる。つまり、眼あるいは金的攻撃が有効である。その怯んだ隙に逃げるのが暴漢術である)


さて、「死ね」は言い換えれば、「生きる価値がない」となるのではないだろうか。だから、生きる価値がないことを示しさえすれば、「死ね」の根拠となる。
例えば、聞き手の行動に対して、「それはどのような価値を、この世界に生み出したのか」と問答を発生させることから始まる。その価値に、自己以外にも価値があるのか、唯一無二なものか、きちんと問うてみる。
それらが伴わなければ、つまり価値がない。「死ね」と言えるようになる、と思う。

場合にもよるが、価値のない行動に基づいて「死ね」という以外に、根拠を持たせる工夫は想定できなかった。「死ね」に論理を持たせる工夫すらできない私には生きる価値、人類の叡智を高める工夫ができないという贖罪を根拠として「死ね」と言われても致し方ないように思ふ。