たけちゅさん宅

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「差別反対」は自然競合への単なる反発ではないか仮説

差別は自然競合への単なる反発行動ではないだろうか、と思う。

自然競合

同種族間における競合。
本件では、ヒトという群衆生活の種族における競合。つまり、ニホンザルなどに見られる群れでの順位付けと同様に、ヒトについても順位付けがなされるものである、と考える。
幼少期・学童期におけるガキ大将しかり、社会人におけるLeaderポジションしかり、あるいは元首まで含めて、さまざまな場面において、群衆の中からBossが選び出される。そして、そのBossの元である種のヒエラルキーが生じるのは必然であろう、と。

生存戦略

Bossに好かれるか、好かれないか、はヒエラルキーで上位に位置するためには重要なファクターであろうと思われる。
一方で、Bossと同程度の力を有して群衆内で力をつけることでNo.2として、同じ群れとして外部因子と戦うが、同じ群衆内においては敵対的ポジションをとることもひとつの生存戦略であろう。

生存戦略の最終目標

自己の遺伝子をいかに残すか、この一点のみが生存戦略における最終目標であろう。
つまり、ヒエラルキーのトップに立つのは、自分の遺伝子が最強である、と称する何よりもの証左となる。それは、交尾活動=遺伝子の保存に最も強く働くファクターになるのは自然の摂理であろうと思われる。


ヒエラルキー下位層=被差別層

ヒエラルキーにおける下位層のヒトが、単純に被差別層となる。
なぜなら、自己よりも弱い層に対して優位な点をアピールすることは、生存戦略の最終目標達成のために有用な方法の一つであるから。そのために、下位層を差別することで、遺伝子を保存しようと働くはずである。

「差別反対」と平等の非現実性

そうして生じる被差別層であるが、群衆生活を続ける限り、「差別」がなくなることはないであろう。つまり、人類が平等になるなんてのはありえない事象であろうと思える。

「差別反対」と唱えることは、自然競合への単なる反発の一つであろうと考えられる。