たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

生きにくいのかもしれない。

女児衰弱死事件。
Yahoo!ニュース - 3歳長女、衰弱死 寒空のベランダ「ママ、入れて」 (産経新聞)
Yahoo!ニュース - <女児衰弱死>行政の育児支援、妊娠理由に母親が拒否 (毎日新聞)

行政による支援を拒否、と報道。
まるで行政により、保護者が原因だとされているように見えて仕方ない。


育児放棄を若者がどう、核家族化がどう、と多様な議論がある。
しかし、そんなことを議論している間にも、こうして子供が亡くなっていくわけである。
実際には、この国は育児には向いていないのではないか、と思った。

男女平等参画社会だとか、女性だけに家事・育児負担の云々の議論はどれだけなされても、育児をすることに向いていないだけじゃないだろうか。


例えば、誰でもがオリンピックに出場できるか、と言えば。もちろんスポーツには向き・不向きがあり、誰でも出場できるわけではない。それと同様に、この国は育児に向いていないだけなのではないだろうか。根本的に。

今までできていた、と言うだろう。
だが、それは過去の話である。
例えば、20年前の陸上競技選手が、現代の陸上競技でどうなるか、と考えれば。単に記録だけでいけば、厳しいのではないだろうか。(※もちろん共産圏のドーピング疑惑の濃厚な記録は除いて)
それと同じで、過去ではそうであっても、現代では違うことなんてありうるのではないだろうか。


アベノミクスで経済がよくなった、と言っても、給与があがるわけではない。
cf:アベノミクスで、本当に給与は上がるのか? | 高城幸司の会社の歩き方 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

だから、その子供が大人になっても、彼らの未来には期待できない現状がある。
彼らの未来に期待できないのに、それでもなお「どうにかなる」と育てることほど無責任なことがあろうだろうか。その観点からしても、やはり育児に向いていないではないだろうか。
あるいは、自分たちの負担を誰かに消化してもらう、その消化先を子供に押し付けるというのだろうか。



さて、生命は自己の遺伝子を保存することが生存の根底にあると考えよう。
そうすると、遺伝子保存=育児は最も大事な活動の一つであると言える。
しかし、この国は育児に向いていない。
つまり生存に適していないのではないだろうか。