たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

システムが何よりも「いじめ」の原因なのではないか。

息子が○○菌扱いのいじめを受けていました - バンビのあくび


息子さんが「○○菌」と呼ばれていじめられていた、と。
そして、担任のアプローチの仕方は、おそらく“優良”とされるはずだ。
(見てみぬふりをする or なかったことにする=ネガティブという基準では)


しかし、「集団で何かを成し遂げることを目指す」から、いじめが問題となるのではないだろうか。
そもそも集団行動を求めるシステムが、いじめの原因なのではないか、と提起したい。

日本人にありがちな集団行動は、同じ文化を背景とした者だけが集まって、その中で何かをしようというものである。
学校であれば、派手な者が集まるグループと、奥手な者が集まるグループができたりする*1。例えば、服飾や持ち物を「ブランド」(=よく売れているモノ)で集めるのが前者であれば、後者としては「オタク」と呼ばれる趣味を持つなどだ。
そして、同じ文化を共有しない者を排除する方向で、いじめは発生する。
なぜ排除しようとするのか。
それは集団行動を為す上で障害をなすと考えるからではないか。
同じ文化、同じ言葉を使えないと、集団で行動する際に「共有」という操作が増える。それを避けることが根底にあるのではないだろうか。
「共有」という操作をきちんと挿入できれば問題ないのだろう。
だが、その上流に位置する集団構造を必然としなければ、発生しないのではないか、と思うのである。


「集団行動」を求めれば求めるほど、「いじめ」は生じるだろう。

社会システムを脱集団行動に持っていかない限り、「いじめ」はなくならない。




1:ここにおける派手/奥手とは、異性に好意的に注目されるという意味である。種の保存を目的とした生存では異性から好意的に注目される必要がある。ここで人類は視覚による接触が多く、外面をどれほどよく見せるかが重要となる観点から、分類した。