たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

「勉強すること」は何の意味も持たない。

大人がよく言う「勉強しなさい」はいい加減やめてあげた方がいい。
「友達」という小さなコミュニティ内でうまく振る舞えるだけでも、幸せになれるから。
机に向かって勉強したところで、他者との接し方を学ぶことはできない。
距離感の取り方とか、文化とか、本で読めても、実際にそこに居ないとわからないものだ。

そして、この社会は別に「勉強ができる人材」なんか、まったく求めていない。
どっちかと言うと、「友達(=同じ文化を共有)間でうまく振る舞えるか」しか問われない。


その弊害として、視野の狭さがある。
例えば、経済誌が取り上げるのは「日本企業の日本だけの順位」なのだ。
ほんの200年前には「鎖国」していた名残なのか、国の中だけですべてを完結させる文化がある。
だから、「友達」という小さなコミュニティ内だけで完璧に振舞うことができたら、それだけで十分な人材としてみなされるわけだ。

鎖国」状態であるのならば、それで問題はないだろう。
しかし、成長を元にした資本主義経済とそのシステムにおいて、成長の糧が明らかに目減りしている中で、「鎖国」状態で良いのか、と言えば、否だろう。為政者はそれこそ50年先には間違いなく、この世界には存在しえないからこそ、そこを本質的には問題視していない。
ただ単に、どれだけおいしく残りの人生を過ごせるか、しか考えていない。


沈みゆく船の中で、友達という小さなコミュニティで過ごしたいのであれば、勉強することに何ら意味はない。むしろ、勉強すればするほど、ツライ思いしかしないだろう。なぜなら、システムの不完全性に目が向くことになるから。


だからこそ、勉強しないことの方が、この社会システムでは無難な幸せを享受することができる。