たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

「感情」は何ら解決にはならない。

感情。怒り、悲しみ、喜び・・・。
どんな感情も個人の中における効果しか発揮しない。
感情自体は、その感情を発する事象への解決的寄与は一切ない。
つまり、どれだけ怒り、悲しみなどを表現したところで、それは何ら事象の解決には繋がらない。
問題解決のためには、それらは解決手段ではない。


私は感情表現ができなくなった。
どのような感情表現も、私を取り巻く環境への寄与がまったくない。
だから、感情表現は無駄な行動である、と。
その結果として、私は感情表現ができない。
文書として表現はできても、それを表情として表現することができない。

そもそも何の解決もできない行動をとる必要性が不明なのだ。


ここで思うのが、人工知能
人工知能はおそらく感情を持つことはない。
論理的に感情を理解して、そして論理的に感情表現をすることは可能であろう。
しかし、人類は基本的に論理的には感情を示さないだろう*1。
私はきっと人工知能的なのである。
他者の感情表現を見ると、論理的になぜか、と考えてしまう。
そして、それをもって理解できる。
人工知能というのも、おそらくそうなるのだろうな、と。

だが、人工知能の演算は私なんかより優れすぎているわけだから。

私の感情表現よりも、数倍早く人工知能が先に感情表現ができる時代がくるように思う。
結果として、私より人工知能の方が友人が増える時代になるのだろう。



1:感情はなぜ生み出されるのだろうか。特に非論理的にしか見えない幼児or思考力の低そうな人ほど、感情表現が得意である。つまり、論理的思考とは対極にあるのではないか、という推測。その前提では、論理的な結果に基づいた感情表現は普段は行っていないのではないか、という思考。