たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

気持ち悪さしかない運動会について。

私は小学校の運動会が嫌いだ。
特に組体操の気持ち悪さ。
戦争時の大失態である「国家総動員法」を思い浮かんでしまう。


こちらの記事
【緊急提言】組体操は,やめたほうがよい。子どものためにも,そして先生のためにも。<組体操事故の実態>(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
これを読んで、ふと思い出した。
もう10数年ほど前。

組体操と私(序)

小学校1年の時から、「問題児」だったように思う。
組体操の動きを覚えなくて、最後まで残されていたことを覚えている。
その当時、仲の良かった3人でずっと、踊ることなくふざけていた。

その頃から、集団行動が大嫌いだ(現在完了形、継続)。

「社会」の授業と私

そして、小学校6年。
歴史がとてつもなく好きで、好きでたまらなかった。
卒業アルバムに将来の夢、歴史学者と書くほどに好きだった。
太平洋戦争史を学んだ時に、「国家総動員法」という存在があって、それを知った時に純粋に嫌悪しか感じなかった。そして、太平洋戦争期の日本の「馬鹿らしさ」が嫌で、その時代をとてつもなく嫌ったわけです。

組体操と私(承前

そんな6年生の時にも、組体操があった。
「人よりもワンテンポ遅れているだとか」で、なぜかクラスメート全員から詰られた。
担任ならまだしも・・・、そこに「国家総動員法」で洗脳された国民を思い出してしまって、もはや人が大嫌いになった覚えがある。

そもそもワンテンポ遅れていたのは、振り付けなんか覚えていなくて、人の振りを見ながらやっていたからだ。なぜ覚えないといけないのか、わからなかった。
その当時には、反抗する言葉がなかったから、受け入れざるを得ない私自身がとてつもなく嫌だった。

今ならば、「私は国家総動員法に対して、完全なる失敗だったと思っている。この組体操は国家総動員法に準ずる行動に思える。ゆえに、私の信条に元づいて、組体操への参加を拒否させていただく。」と言って、そもそも運動会へ参加などしなかっただろう。

組体操

組体操で事故が起こるから、やめなさい、というニュースの提言。
そもそも組体操なんてのは、国家総動員法が蔓延った日本らしい慣例にしか思えない。
まだ思想を身につけていない小学生に、なぜ「国家総動員法チック」な組体操を強制するのかが、わからない。歴史を学ぶことには、過去の反省を未来へ活かすという意義があるのだ。

なのに、全員に同じ思想を押し付け、同じ行動を強いる学校教育は愚行でしかない。
その執行者は完全に社会損失を行っているわけです。

反集団行動

同じ行動を強いることにリスクが伴うのは、歴史を鑑みても明瞭だ。
ある種の環境下においては、圧倒的な強さを誇るかもしれない。
しかし、この集団行動が現代で強みを持っているか、と言えば、否ではないか、と。
もし集団行動に強みがあれば、それは世界の支配者になっていてもおかしくはない。
なのに、事実は逆だ。
太平洋戦争で敗北した時点から、世界の支配者とはなれていない。
その後の経済復興の結果、Japan as No.1だとか一瞬浮かれて、すぐに潰れた。
護衛艦方式のごとく成功したと思えるが、太平洋戦争期と同じことを繰り返しただけだ。
一時期、大東亜帝国圏を形成して強さを持った大日本帝国が失速したように、日本も落ちぶれた。

それらに反省があるのであれば、集団行動を強いることに意義がないことを見いだせるはずであろう。

組体操というのは、学校教育における集団行動の典型的活動であり、愚の結晶だ。

小学校当時、とてつもなく運動会が嫌いだった。
それは、この愚の結晶行動に対しての生来的勘によって生じる嫌悪感に基づくものだったのだと思う。