たけちゅさん宅

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結婚式不要論

結婚式の業者ってヤクザだと思う。


はてな匿名ダイアリーにて。
『結婚式の業者ってヤクザだと思う』
という記事。


はてしなく同意。
そもそも「結婚式」なんて挙げる必要性なんて、現代はない。

ここで、現代としたのは、過去なら必要性は大きかったのだと思っている。
ムラ社会
であれば、ムラに属する上で協力しあうこともあっただろう。それこそ茅葺き屋根の張替えなんかで人出を使ったり、と。いろいろな面で、協力があったはずだ。ムラという運命共同体への新規参入(他村からの嫁ぎなど)であったり、同じ運命共同体内での報告であったり、結婚式というものに意義があったはずである。
しかし、現代社会、結婚式に招待する人間は決して運命共同体ではない。


だったら、そんなところにお金を注ぐ価値があるだろうか、と。
それこそ、お色直しに20万かけても満足を得られるのは、花嫁一人であり、それを見せられるだけの花婿なり、招待客なりには何の価値も生み出さない。(※「花婿が惚れなおす」なんていうのは、定性的事象に過ぎず、定量的に観測できない点で無意味・無価値である。)

そして、お色直しされて出てくる花嫁は、所詮「花嫁」と呼ばれる三流の駄作人形にすぎない。
パリコレなんかのように、新作のお披露目会で、プロモデルが魅せる歩き方でもするのであれば、衣装を見せられることに価値が生まれるかもしれない。
しかし、所詮、素人の小娘がただ一人、幸せそうにヨチヨチ歩くだけ。
それの、どこがおもしろいのだ、いったい。
定型的な衣装ばかりで、それこそ人生で2、3回参列すれば、もうそれですべての衣装パターンを網羅できる。

話を戻す。
結婚式なんかに数百万注ぐくらいなら、世界一周旅行でもする方がよっぽど良い。
どうせ二人が運命共同体になるだけなんだから。
二人で旅行でもすればいいじゃないか、と思うわけです。
それなりに豪勢な旅行の一つでもできる資金を、なぜ、運命共同体ではない他者に使わないといけないのか、と。


そして、上司だか何だかのジジイが、「新郎~くん、新婦~さん、本日は誠におめでとうございます。」で始める長超絶の挨拶。つまらない典型の一つですよね、と。なぜ、しょうもない話を聞くのにお金(ご祝儀)を出さないといけないのか、と。

これで、料理がおいしくなかった折には、「おめでとう」の一言に全くもって、おめでとうがこもらないわけですよ。


それに、現代社会における結婚というのは、要するに「婚姻届」の提出のところが社会に認められる部分なわけですよね、法治社会なんですから。なのに、結婚式を結婚としてしまうのは、法治社会ではないことの証左になるわけで。


つまり、法治社会の現代においては「結婚式」なんてのは不要。
花嫁が自己満足したいのなら、東京ガールズコレクションだかでウェディングドレス着て歩いたらいい。素人のヨチヨチ歩きを見たい人間なんて、この世界にいませんよ。