たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

学科教育への疑問。

小学校の英語必須が、無意味である理由。


そもそも英語を必要とする人間なんて、ごく僅かなんですよ。最低限、大学で勉強することを志向する人間じゃないと、不必要。

なぜなら、研究の主体は多くは英語が使われているから。日本だけで完結するなら別ですが、そんな分野あるの?と問いたい。


でもって、学校教育で英語を学んだであろう「大人」が、英語を使っていない(必要性の面でも、能力の面でも)そもそも忘れている、まである。

そんなこと言うと、学校教育なんて無駄ですが。
しかし、もっとこうフレキシブルに教えるコト変えてもいいと思うのに。。。それを嫌がる既得権益の塊(老害)が原因ですよね。

簡単に言えば。

大半の役立たない座学の押し付けに終止する学校って、ダサいよ。

私個人は、化学が好きです。
けど、学校教育より先に、「周期表が美しい」ってとこに感動して好きになって。とある化学の先生に、いろいろ尋ねて答えていただけたことがきっかけ。
教員と教科書は必要だったけど、別に座学は要らなかったかな。ま、座学が先か、師が先か、なんて話になりそう。。。

でもって、再び、座学。
学科教育に意味あるのか、という問い。
本当に必要なら、学科教育を施す塾は不要ですよね、となる。塾が存在するのであれば、なぜ学校で学科教育を施すのか。


学校の始まりは、産業革命期の不良の更生施設だと言われている。(日本の寺子屋なんかは、塾の形態だと思う)で、座学の形態って、その頃から変わってないんですよね。
つまり、産業革命と現代でも、はたして子供は等質なのか、という問いがたつ。貴族は家庭教師を雇っていたみたいですが。

そういう意味で、現代の日本の学校はある意味、平等なんだと思う(公立と私立があるけど、別に公立卒でも特権階級になれる)。
しかし、その平等性は万人を満足させるものであるのか、と問いたい。その平等性のために、不必要なものを押し付けられているのではないのか。その不必要なものこそ、学科教育なのではないか。

学科教育。
いいかげん見直しましょうよ。
鉄器時代に石器教えるようなダサさ。よくて、青銅器くらいじゃない。それでも、ダサいけど。