たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

英語の話(文科省の英語会議、とか)

文科省が英語会議をするそうだ。

なんたる公費の無駄遣い。

さておき。
楽天の社内公用語の英語化なんてのが有名ですが。

そもそも言語って、押し付けられるものか?
という疑問。

あと、ツールよりも、何をするか、が大事だと思うんですね。だから、言語(ツール)よりも、何を話すか、が大事。

バイト先でも、よく見る意味のないミーティングの類。「共通目標を持ちましょう」とか、意味のわからない目標(定性的すぎ)を立てて、(そこを許して)その目標が立つにいたった阻害要因の話もせずに思想の押し売りをするだけのような会議。
これ、いろいろ見てきたんですけど。
毎度毎度、居酒屋でやれ、と思うんですよね。

こんな一個人の体験を、一般化するのもどうかと思いますが。
巷にあふれるビジネス書なんかで、効率的な会議だとか、仕事術の本があふれている昨今。そこでなされる問題提起なんかで、見るから。
きっと、こういう無駄なミーティングって、世にあふれていると思うんですよね。
居酒屋でやれよってやつ。


そんなことはさておき。
日本語→英語になっても、個人の話す内容なんて変わるわけがないんですよ。
非論理的な根性論をオフィシャルな場でも語っちゃう系の人って、英語になっても同じこと語るだけ。
論理ってのは、言語とまったく違う世界にあって、どんな言語でも共通なものですから。

だから、言語を変えることに、まず意味がない。
さらに、言語って押し付けられるものじゃないだろう。
母語(日本語)をまともに操れるんだったら、それでいいじゃん、と。必要にせまられたら、英語学ぶだろう。しかも、アメリカだと、どんな馬鹿でも英語しゃべるんだぞ。そこに、ロジックが存在しているか、わからんけど。

同じ理論で、小学生の英語教育必須には反対。
それより、ロジックをきちんと教えてやれよ。
表面的に言語教えるのではなく、論理という幹を教えてやれよ。それなされずに、すごく後悔してる奴がここにいる。

ロジック。
論理の飛躍って、本当に意味がわからなくなる。
それに、ロジックの詰め具合には、その人の理解度が現れる、と思っている。よくわからなければ、ギュウギュウに詰めてくるか、ポンポン飛ぶ。けど、余裕をもって周り見ていたら、適切にロジックが使われている。

教えるのがうまい人って、本当に使い方がうまい。
けど、教えるのが下手な人って、ロジックの使い方が下手だったりするのよね。

でもって、課題→解決の流れって、論理が本当に大切だと、改めて思う。

優秀な人って、それが自然にできている。
けど、優秀じゃない人はそれができない。
だからこそ、小学生の間にきちんと教育してほしい。

と言っても、根性論語っちゃう系の教員もいますから、無理なんだろうけどね。
親玉の文科省が、ロジカルシンキングよりも「英語だ」とか根性論的なやつを打ち出している時点で、下っ端の教員に期待なんか、できませんが。