たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

けんきゅーについての何か。

とある機器と、とある素材を使って研究をしていたりする。

自分のLab.は、その素材の方が主体。
機器については、扱いがわかっている人がLab.内にほぼいない。
世界的に見ても、同じ系統のLab.でこの機器を扱っているのは片手で数えられるくらいだと思う。そのため勝算あり、と踏んだのだが。逆に、知識面などで不十分なことを犇々と感じていた。
そんな矢先に、同じ大学の理学部に、この機器の元来の扱いで研究している権威の先生がいらっしゃって、指導をいただくことになった。

明日、初めてのミーティング。
その準備を拙宅に持ち帰り、いそいそと仕上げ中の息抜き。


「常識」は、常識じゃないコト

世間を賑わしている小保方博士の騒動。その一つ、実験ノートについて。
曲がりなりにも三年もLab.にいた身ゆえに、実験ノートをつける意義だとか、そういうのはもはや「常識」になっていた。
しかし、Facebookだとか、blogだとか、聞いたりとか、世間の人たちの声を聞いていて衝撃を受けたのが、それは決して常識ではないということ。そもそもLab.に属する人間なんてのは、世間の一部なのだから、当然のこと。
そういうことを改めて実感した。

その小保方博士の実験ノートについて、改善的な意見として。
すべてをデータ化してしまえばいいじゃないか、という話を聞いた。
それも数件見聞きした。

あまり意識したことなかったが、化学・生物研究界隈ではIT化というのは不十分なのではないか、と思う。

例えば、実験ノートには結果なども書くことになる。
しかし、私の研究であれば、冒頭の機器について。
結果は「数千の数値」×「サンプル数」+「画像データ」となる。
こんなものを記述することなんて実質不可能。
だから、結果はすべてデータ化された状態で保存している。
個人的には実験ノートが電子化されていれば、ノートと結果の連結が非常に容易になってありがたい。そのため、一時期、実験ノートを半分、電子化していた時期があった。

というわけで、きっと電子化というのは、とある界隈では「常識」でも、化学・生物研究界隈では常識では未だないように思える。

読めない論文とかファッ●だった。そんな俺がもうダメだっただけ。

小保方博士騒動をまた引用するのものなんだけど。
その博士論文で剽窃をしていたことが問題となっている。
しかし、その剽窃をするとしても、元の論文が読めることが大前提である。
世間には、読むのが有料の論文なんてのがあふれている。
お金を払ってでも価値があるのか否か、そこがわからない一種の賭けとなる。

そんな有料論文を、以前なら、別にいいか、とあきらめがついていた。
しかし、最近、とりこぼしたくないポイントがそこにあるのがわかっていても、有料だから・・・とイライラすることが増えていた。とある論文誌には、何度も出会って、ファッ●ユーとか呟いていた。

しかしである。

文献を送ってもらうためのメール - ある生物系博士課程大学院生の日記

こういう記事を読んだ。
「ああ!なるほど」と納得した。
あとは、指導教官とどう話をつけるか、というところで、いったいどうしたらよいのやら、と思うわけである。
それはさておき、ちょっとこれは目から鱗。

直接、メールを送ればいいじゃないか、と。
そういうわけで、さっそく一件だけやってみる。

しみゅれーしょん的なやつへの違和感と。

私の研究自体は、PC上のシミュレーションで解を出そうという試みも行われていたりする。そして、その体験版(ほぼ現場で行っていること)を一度だけ、してみたことがある。

結論として、「モノ」がないと、あまり醍醐味を感じなかった。

確かに、それで予測できるのはおもしろい。けど、それが「すべて」という感じのコトを述べている、そこの研究者に違和感を感じた。正直、シミュレーションは結局、予測でしかないのではないか、と思う。

詳しく言えば。
タンパク質-タンパク質間相互作用なんだけどね。

たぶん、プログラマー的なお仕事って、私自身には「やりがい」にはならないんだろうな、ということを薄々感じていたけど。この件を経て、確信に変わった。