たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

ゴーストライターとお花畑の住人。

モノが売れるのは「製作者が誰で、どんな人なのか」で左右される時代。
高田純次さんが「適当日記」を書くから売れるわけで、(失礼ながらあのくらいならば誰でも書ける)私が「テキトー日記」と題して書いていたとしても売れない(と、思う)。私がその本を出す妥当性、つまり、テキトー人間なのか誰も知らないから、本屋も売れ筋として置けないし、結果として売れないのだ。

さて、佐村某さんの問題。
端から「アイデア出しが私で、composerが」と言っておけば、変わっていたんだろうか、と。
漫画の世界でもアシスタントを雇って書いてもらうのが売れっ子作家によく見られる。言うまでもなく、文筆の世界でも。例えば、サッカー選手だとかの自著なんてのは、ゴーストライターの関わり臭しかない。
そんな佐村某さんの作品が売れたのは、結局のところ、佐村某さんの『境遇ありき』なわけで。そこにお金を出して満足したのが大半の人間。そんな彼らを現実に戻してしまったことだけが、今回の騒動。お花畑にいる人たちが、実は造花でしたよ、と知った程度に過ぎない。
そこで佐村某さんを批判しちゃう系の人は、お花畑にいたことを恥ずべき。次に、人を信じちゃいけない、と自戒すべき。それから初めて、「なんで私は簡単にだまされちゃったのか」という問いを立てるべき。単純に頭がスッカラカン(お花畑状態)で何も考えていないから、お花畑に行っちゃうんだよ。だけど。別にそれを自覚した上で、佐村某さんの作品を受け入れているなら別にいいと思うけど。



ただ、こんな些細なことに注目させるのには、何か裏に意図があるのではないか、と。
この問題自身が、何かのゴーストになっている。
思い当たるのが、都知事。政治家なんてのはとかく金がかかる仕事なのだろう。出馬するだけでも、数百万が必要だとか。いろんな形でお金をうけとっているわけでしょ。都知事一人を降ろすのに使ったけど、飛び火しないように誰かが火消しをしたように、ゴーストライター問題が出てきた。それも、どこの誰なのか、一般的にあんまり知られていないだろうおじさんたちが渦中の人。ここまで問題提起するほどの妥当性があまり感じられない。

ついでに、かの都知事選の渦中の人が作家で、どう見ても最初に飛び火するであろう方も作家で、彼らにとって近い世界にあるのがゴーストライティングなあたり、なんかおもしろい。そこに「手軽に使える」という点から妥当性が生じる、と思う。




追記;

血液型占いだとか、動物占いだとか、手相だとか、まったくもって非科学的なモノをさも当然のごとく受け入れて人間を分類しちゃう人が多いお国柄、お花畑にいっちゃう人は多いんだろうね。

血液型決定因子が、パーソナリティ決定因子になぜなるのか。
動物占い=誕生日で、なぜ君は~だね、と決めれるのか。

等々・・・本屋でも1コーナー設けられるくらいにお花畑がこの国には多い。