たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

As a sex and alcohol.

通勤ラッシュの電車に久々に乗った。ちょうど友人宅に外泊してからの電車で、その友人と「鬱」に語った後日のこと。そこで感じたのが、現代人に「鬱」が増えている要因の一つに、この「通勤ラッシュ」があるのではないか、と、ふと思った。
ぎゅうぎゅうに押し込まれて苦痛でしかない、はずだ。少なくとも私は苦痛でしょうがない。

セックスとアルコールさえあれば満足な類人猿(大多数のYellow Monkey)ならば、この現状に問題意識を持たないのだろうか。しかし、知恵をつけたヒトにとっては苦痛でしょうがなくなるはずだ。それにより、通勤が嫌という発想へ。そして、職場に対しての鬱というモノが生まれるのではないだろうか。



そもそも現代社会。技術の発達で、テレビ電話にメールと、時間・場所にとらわれずにコミュニケーションがとれるにもかかわらず。わざわざ同じ時間に、同じ職場につめかける必要性があるのか。
その同じ時間、同じ場所で働くことにこだわるのは老猿のこだわりでしかない。そこで滅んでいっても、しょせん死しかない老猿にとっては良いのかもしれないが、若者には迷惑千万極まりない。



縄文人はなぜそのLife styleを維持したままの人類が残らなかったのか。
この辺はジャレド・ダイヤモンドの著書に詳しいが。
狩猟から農耕への変化というLife styleの変化によって、狩猟を主とした民族は死滅した。
旧来の方法にとらわれて、新しい方法をとれない民族には死しかない。

これと同じで、現代技術を使えない民族には滅亡しかないのではない。

そう思うわけです。
特に、Work styleの問題が叫ばれることが多い近年。
そこに解決策があるのに、誰も提唱することなく、鬱に羅患する現状が意味不明でしかない。現状を変えようとしない動物に、種の保存なんてのは無理。

何のために、学校教育で、「歴史」を学び、「生物」を学んでいるのか。
この歴史、例えば縄文時代から弥生時代の変遷と、その後の時代でなぜ狩猟民族が生き残らないのか、を学ばないのだろうか。生物で、種の保存について真剣に考えさせないのか。この辺は、教育をいったん施せば、あとは教養として有しているべき事項ではないのか。
大学卒業しているにもかかわらず。理科が嫌いだ、社会科が嫌いだ、とか理由をつけて、教養を有していない類人猿が実に多い。大学って、教養をつけるところではなくなっている。セックスとアルコールだけを学ぶところ。そこで養成された類人猿も、やはりセックスとアルコールがあれば満足できる「社会人」になるしかない。何のための大学ですか。


というわけで。

Flexibleな労働環境を整えましょうよ、と。

何のためのメール技術ですか。テレビ電話ですか。
技術が発展しないのは、それを有効に使えないから。
為政者が国民生活を体験していないコト、一方で大多数の国民は現状をすべて為政者に任せっきりな点が問題。そのアンバランスな状態の発現が、現代社会の諸問題に繋がっていると思える。。。


追記:
そういう社会構築のためには、学校システムも根本的に変えるべき。
つまり、課題提出はメールで。授業はすべてテレビ電話で対応したらいい。
社会性の構築のために集まる、みたいな話がある。しかし、それは社会性の構築ではなく、飼育員に飼い慣らされるサルの育成を行っているにすぎない。そのどこに社会性があるのか、意味がわからない。ヒトをヒトたらしめていないじゃん、学校ってのは。

動物園の動物と、学校の生徒。
どこに差異がありますか。