たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

生と希望について。

私自身が知覚しているこの社会に、希望がない。
希望というのは、自己を満たすことができる何か。
自分を満たすというのはいったい何なのか。
何をしても、満足感を持てない。

やりきっていないからなのか。
ただ、何をもってしてやりきるになるのか。
やりきるを自己規定すれば、存在しえない。
何らかの行為を行った時点で、次の事象が見える。
だから、やりきるというのは次の事象を見切ってしまうこと。
諦めることにほかならない。
何かを望むことを諦めている。望むという点においては、やりきったことになる。
望みを持ってしても、生とはまったく離反されているものだから。
生のためには、身体を維持する食がいる。望みは食にはならない。
つまり生においては無価値である。
望みの無意味さから、満足感を喪失した。

思考が具現化して、望みも満足も感じれなくなった。
口先だけで語ることはできる。現実を無視して。
しかし、その現実しか知覚できない。
口先で語る望みも満足も、すべて砂上の楼閣にすぎない。
結局、自己には望みも満足もなくなってしまう。



自問自答を言葉にして数時間くらい消しては出てくる。
他者の言葉一つひとつが、自己の言葉を否定していく。
だから、もう外と接することに疲れた。