たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

馬鹿は大学に行くな、と言いたい。

馬鹿は大学に行くな。そして、それを社会は容認しろ。
日本のビジネスマンの大半なんて、大学で学ぶ必要性がないところで仕事をしているじゃないか。
と思う。

さて、こう思うきっかけとなったのは以下のニュース記事。

国公立大学 2次の学力試験廃止 人物評価重視に

どうやらペーパー試験を完全に廃止したい方向らしい。
アンチ「詰め込み教育」ですか。

『教育再生実行会議』のメンバーって、耄碌した年寄りばかりで、そこから再生すべきではないか、と思うことはさておき。(そもそも、教育される対象が成長した段階で、この中の何人が生きているの?そして、そういう生きているか怪しいやつらになぜ未来を任せないといけないのか)


そもそも論から入ると。
大学は教育の場であってはならないこと。
だから、高校までに必要な教育を受ける必要がある。
その習得状況を確認する手法として、ペーパーテストが役立つ。



大学は教育の場であってはならない。

今の日本は就職のキップとして大学が使われている。
だけど、大卒なのに、大卒である必要性が皆無の仕事に就いている人間がいったい何人いるだろうか。スーツを着ていれば、たいてい大卒であろうと考えている。だけど、営業職に始まり、事務・経理など、別に大学で学んだ知識が必須ではない。
そして、何より、大学を出たところで就職率が70%である。キップとして機能不全に陥っていることがこれで証明されるであろう。

「電車のキップを買っても3割の人は乗れない」という制度ができたら、誰でも反発する。
なのに、大学のキップ化では甘んじて受け入れる。
これがそもそもおかしい。


大学は学術研究の場であるべきなのだと思う。
(※そうすると、大学教育の職場が減ってしまう。それはそれで困る(笑)ので、教育というより教養をつけるための機関として大学として、リベラルアーツカレッジのようなものを設けてもいいとは思う)

学術研究を行う人間を養育するとして、その基礎事項はすべて獲得している必要がある。
文科相が「学力一辺倒」として、現代の教育を揶揄しているが、低いレベルのモノを「学力一辺倒」と言ってしまうのはどうか、と思うわけである。例えば、大学に入って、英語を中学レベルからやり直すという事態がその典型例。理系であれば、微積の基礎(高校での既習事項)をなぜ大学に入ってやりなおすのか、という話。
そういう状態なのに、ペーパーテストを廃止するとどうなるか。
ますます馬鹿があふれる。
馬鹿のために、高校教員の代替要員として教育を施すことが求められる。それで研究成果を出せるわけがない。なので、ペーパーテスト廃止はしてはいけないのだと思う(※上述、教育のための機関として大学ではいいかもしれないが)。



しかし、国の言うことに何でも従う国民総馬鹿化を目指す上で、教育を潰すのは最も手っ取り早い方法であることは確実だろう。だから、この案件はある意味、この国の目指す方向としては正解なのかもしれないね。

沈みゆく船から飛び降りてもらう際に、日本人には「周りの人もしてますから」と言えばいい、という逸話もあるが、「周りがみんな馬鹿ですから」と言って、教育を壊滅させること。これが、今の国の現状。その歩兵が学校教員であり、指揮官が国です。