たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

ジェンダーとミスコン、そして差別について。

ICUのミスコンに反対する運動がどうやら盛り上がっているらしい。

https://sites.google.com/site/missconhantai/statement_jp

反対派の意見。
『女性の価値を、外見や振る舞いに見出すことがミスコンの始まり』的な論調。

そもそも「性差別」に関して。
「(男性なのか、女性なのか、という識別をした上で)性差別だ」と主張する時点で、個人の差別だと言いたい。そもそも、すべての個人を男性or女性で分けることがおかしいだろ、と。

ジェンダーというのが、生物学における性(こちらはセックス)ではなく、社会・文化で作られる性のことである。生物学における性として、オス・メスが定義されるのは理解できる。この異なる二種が交わることで種の保存を行う必要があるから。しかし、社会・文化で作られる性別として、すべてがオス・メスとして分けられる必要性があるのか、と問いたい。

そもそも、ジェンダーがどう、性差別がどう、と言い出す人間は決まっている。その人たちの思考内で、まず男性女性を分けた上で異性にモテない(セックスの観点から、種の保存を達成できる見込みが与えられない)ことによる悔しさが行動理由にあるだけだと、私は思っている。


主張の中で「世界人権宣言」を出している。

すべての人間は、生まれながらにして自由であり・・・(以下略)

『女性』という括りを勝手に持ちだして、すべての人間は自由なはずなのに、勝手に『女性』を分類するその行動自体が世界人権宣言に反しているのではないか、と思うわけです。

そもそも生まれてくる場所、時間、環境が異なるのにもかかわらず、場所・時間・環境を統一していこうという運動(差別反対)自体が間違っている。自然界の摂理として、同種間でも弱肉強食はあって、それを無きものにしようとするヒトの行動はどうあがいても達成できないわけである。



差別反対というシュプレヒコールをあげる行為は、その行為以外の解決法を考えられない無能な人間が行う行為にすぎない。平等を目指そう、というスローガンも無能な人間が好んで使う。本当に平等を目指したいのならば、人の借金でも背負って平等に持っていけばいいじゃないか。性差別反対だとか言うのなら、厳格なイスラム法の国家にこそ活躍の場があるんだから行けよ、と思うわけです。



最終的に中止にされたようですが。。。ジェンダーにおける性別というものを再定義していただきたいですね。

それと、性差別という主張自体が個人の自由を侵害していることに他なりません。