たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

放置される系白衣男子は孤独か、否か。

三連休明けに、研究室に出勤したところ。
普段はきちんと出勤されている研究員さん含め、人がいなさすぎました。
今日もまだ、祝日だったか、と。



いや、そうか。
今日はストだったか。
しかし、そんなストからも私は無視されるんだな、やれやれ。
スト破りとして糾弾されるだろうか、いやされないな。
ただでさえ違う生き物として見られがちな白衣系人種の中でさえ、腫れ物扱いされているのだから。

そんなストーリーをふと思いつきました。

単にとある学会に合わせて、お休みにしているだけだろう。
あまりその学会には関係ないので、お休みではないが。
それに、単身でスタンフォード大学に行ったからいいんですが。

そういうわけで、実際のとこ、ストであっても、学会であっても、私は放置される系男子なのです。
(※なんで、みんなお休みしているのか、本当に知らない。)

そんな私を「孤独」と形容してみたいのだけど。
どうやら孤独に近しい概念として。
「隔離」・・・他人から強いられた場合
「疎外」・・・社会的に周囲から避けられる場合
「孤立」・・・単に一人になっている場合
(※※あと「孤高」なんてのがあるらしい。だが、放置される系白衣男子は孤高という気高きものではないはずだ。)

さて、今回はどれにあたるのか、と。

白衣系男子にとっての社会とは、まさに『研究室』であり、そこから避けられている感があるので「疎外」なのか。それとも、そうさせられている(研究テーマがかけはなれていて、実際に学会が関係なくなる)から「隔離」なのか、あるいはこのテーマを俺自身が選んだから「孤立」なのか。

どれで形容すべきなのか、を考え倦ねている。



そもそも、人と接触を持たないことが孤独なのであれば、私は孤独ではない。
孤独死という語における「孤独」は、まさに人との接触がないこと。
だけど、研究室に来る限り、そういう意味における孤独とは無縁である。

現状、将来的には孤独死するんだろう、という方向で人生が進んでいる感は否めないが。

だが、交流を持っていない、と考えていれば、それこそ孤独である、と定義すると。
私はたぶん孤独なのだろう。
いま亡くなっても、研究室メンバーがそれを知ることはない。誰かが「あれ?いないな」なんて思っても、それ以上考えることは実質ないだろう。そもそも一人で暮らしているから、家で倒れても、誰にも気付かれずに息をひきとることはほぼ確定している。
そういうわけで、結論として、孤独なのだと。



結局のところ。
孤独でも生きていけることに変わりはない。
たぶん損をしていることも多くあると思う。だけど、それ以上に気楽に生きていけるから、孤独で生き続けているのだろうな、と。

ずっと一緒にいる人に自分の身を預けることがすごくできない人間なのです。

一人で気ままなLifeを送ること、が目標だね。
実際にそうしている。