たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

モヤッとボール投げましたね的な話。

この数日にモヤモヤしていた何かを、言葉にしてみる。
雑感を言語化したところで、何になるのかわからないが。

とりあえずなのか

博士課程進学を決めた。その準備に追われて、一段落。
ずっと不明確だった大筋に、言葉を与えられたのに一満足。

とりあえず博士なのか。という言葉に悩みが集約される。

それでも、強引に仮説を立てるだけ立てストラテジーは作った。

ただ、いかんせん知識不足が否めない。
それもそのはず。
専攻していたのは、工業化学and化学工学であって、当研究室が生物化学工学。バイオ系と言っても、しょせん化学工学の一分野にすぎない。よって、分子生物学だとか、の知識抜けが否めない。
一方で、工学だと言うのに、装置の図面も引けないし、計算もイマイチ。

はてさて、どうしたものか、と。

装置図面を引く必要性は低いから、当面は問題ない。
ただナノオーダーの実験器具を自作できる装置を作ってみたい気持ちもある。現状の器具では、対応できない仮定もあるので。

だが、計算生物学であったり、確率統計論の知識があれば、もう少し深く考察できそうだな、という気持ちがあったり。ただ、それは推論に推論を重ねた、こじつけに見えなくもないな、という気持ちがあったり。

これらのちっぽけな悩みなんて、時間かければ解決できるんじゃないのか、と。
いまいち解決できないのは、「とりあえず博士」だからなのか、と。
時間をかけないから?
そう悩むわけである。


研究室ヒッキー=一点集中すべきなのか

ところで、STORYS.JPというサイトを最近、よく見ている。
一般の人が自分の話を予告して「聞きたい」を集める。
一定数集まれば、書いていく、というシステム。
だと思っている。

その中で、『浅野忠信さんと田中真弓さんに直接会ったにも関わらず、俳優の僕が芸能界で売れることを目指さない理由』シリーズがある。

俳優と研究者は、どちらも自分の腕一本次第で飯にありつけるか決まる点で、すごい似ていると感じていた。この話の中で見つけたエピソード。

浅野忠信「俳優として食べていける方法が一つだけあるよ」
筆者「な、なんですか!!?」
浅野忠信「明日アルバイトの辞表をだして、俳優として食べていくと決めることだよ」

一点集約することで成功する、というような理由だろう。
これを研究者に当てはめると一言。

『研究室ヒッキー』

ネガティブに言えば、研究室ひきこもり。ポジティブに言えば・・・。
そんなわけで、研究一点張りで行くのか否か、という問題である。
それはそれで正解なのだと思う。

しかし、前項の『知識不足』の解消という点において、ヒッキーにならないことが解決になることが少なからず、あると思う。
計算生物学などの分野は、研究室外で知った。
研究発表の方法論なども、外で学ぶことの方が大きい。自分の研究室で受け継がれてる系の方法論もあるだろうけど、それがすべてになってしまうことだけは避けたい。と言うのも、それが完璧ではないから。
そして、「手作り感の良さ」は、他の研究室見学で感じた。

以上の点から、研究室ヒッキーだけは避けている。「博士課程学生」という点を生かすためにも、学会の学生関係の活動には参加していくことで、リスクヘッジを図っている、つもりである(自分の中では)。当面はそれでいこうと思う。


いろいろ避けすぎではないか?

ネット上で注目されているらしい明治大の新入生向けの文章が記事になっていた。(あくまで信憑性云々は度外視)

飲み会を「お金がない」との理由で断る人は、「あなたと話すことに3000円の価値もない」と言っているのと同義だということを自覚しろホー

結論から言えば。賛同である。

さて、研究室主催の飲み会に、ここのところ参加していない。
当初は別件の予定とかぶってしまって行かなくなると、どうにも行けなくなったからの流れである。
数回、参加しないと行こうと思わなくなる、という習性がある。これを、飽き、と自分で名付けてはいるけど。

スケジュール管理とかできない人間で、一か月先の予定が入っているケースなどはレアなのだが。それでも、予定が入っているところへピンポイントに飲み会が入ってくるのがうちの研究室で、運が悪いことが多い。
だから、この主張に賛同していても、より上位の理由で参加不可なのである。

そうは言っても。参加できるはずの飲み会もあるのは事実で、けど飽きがくるとこの理由について、断じてみたい。

まさに3000円の価値もないなのか?

行っても、研究の進捗はどう?とか、担当教官への批判とか、就職活動の話なんかに終始するのが見えている。端からわかっていることに、3000円の価値あるのか、という問題である。
そもそも予定調和通り清貧に進行するところに、非日常を感じることができない。要するに、研究室ライフをそのまま持ち込んでいくだけで、3000円も払う必要あるのか、と。

そういうことで、食指が伸びないことが、飽きに繋がっているのだと。

また研究室3年目。講座旅行への参加0/3である。
そして、今後も参加することはないだろう。
この不参加というのが、各種イベントへの不参加にも繋がる大きな問題(問題だと思っていないが、本稿では問題として扱って考察していかざるを得ないことが悔しいが)。

そもそも集団旅行が、苦手である。
その理由は、集団に適応するために、自分のやりたいことを犠牲にしないといけないこと。そして、やりたくなくても、とりあえず何か集団での思い出作りをさせられることが苦痛でしょうがないのである。そこに30000円を払う価値を、あまり見いだせない。

旅行するなら、一人でやりたいことをやる方が有益だろう、と。

集団行動と言うのは、自分には合わない。別に一人ででも、飛び込んでいける。誰かと一緒じゃないと動けないというのは、リスクでしかないと思っている。

ということで、講座旅行という一大イベントを避けてしまうと、当然のようにちっちゃなイベントはほぼ不参加となる。


脱ヒッキーの程度がわからない

こうなってくると、脱研究室ヒッキーを謳って、その程度がわからなくなっているようにしか思えないわけである。

そもそも、なんでその研究室選んでるの?と。
個人的に、イベントだとか、そういうところで選んでいるわけでもない。
・担当教官
・装置
・テーマ(傍流)
という3点でしかない。

他の研究室を選んだところで、同じような感じになるのは見えている。
任意参加のない強制参加しかない場所には合わないかな、と。
その点、人数多すぎるからアットホーム感のない研究室である点が実はあっているのかもしれない、と。

決まった時間に昼ご飯を一緒に食べに行く文化が、実は嫌いである。
そういうのが暗に文化になっていないとこが好きである。
なぜ嫌いなのか。
ヒトの個体差は、食欲においても同様。食欲の時間帯は異なるのに、なぜ同じ時間にご飯を食べようと思うのか。違うものは違うのだから、至適時間に食をとるのが幸福の最適化だと思う。

そして、幸福の最適化に対して妥協する必要性が見えない。
妥協する必要性があれば、いくらでも妥協するわけである。



言いたいことは要するに。

どうやって生きていけばいいんだろうな。。。