たけちゅさん宅

たけちゅが思ったこと、したこと、つれづれなるままに

創造する未来と、想像する未来。

ヒト対モノの労働をつぶす。

 

コンピューター対モノの方が効率的だから。

 

ヒトには感情・健康というやっかいな荷物があって邪魔だ。

 

いちいち教育をしていく必要性もない。

 

ハード面を入れ替えても、プログラムをコピーするだけで。

 

まったく同じ質でラインを回せる。

 

ヒトであれば、ハード面の入れ替えへの対応は憂慮される。

 

また、機能増加にはソフトをぶちこむだけで、コンピューターはどうにかなる。

 

けど、ヒトは無理だ。

 

下手すれば、その教育を受け入れられないくらい頭が堅いジジイかもしれない。

 

正直。

 

ヒト対モノの仕事って、無駄なものありすぎ。

 

今のヒトが何らかの仕事に就くためだけに存在している仕事が大多数。

 

ヒト対ヒトでも、技術でどうにかなる仕事はすべて、ヒトからコンピューティングに入れ換わるべき。

 

既存のヒトがどうとかいらない。

 

例えば、人件費の都合で海外に労働力を求めるように。

 

ヒト対ヒトの仕事も、つぶしていく。

 

下の流れで未来をイメージしてる。

 

ヒト

コンピューター

ワーク

プロダクト

ヒト

↑↓

ヒト

 

最終ラインのヒト対ヒトは原始的な「物々交換」となる。

 

最終的に、ヒトをすべてコンピューターに置き換えてしまって。

 

ヒトが働くことから解放させたい。

 

そのために古代ギリシャのように、労働は「ヒト」がするものではない社会。

 

それを創り上げる。

 

さて、そんなことを考えていると、星新一の著書のことを思い出すわけで。

 

未来いそっぷ (新潮文庫)

未来いそっぷ (新潮文庫)

 

「余興の芸術」

労働から解放されたときにヒトは、これほどつまらないのか。

労働という苦役があるからこそ、余興を楽しめるのかもしれないね。

 

「夢の時代」

労働のない世界のいったい何がおもしろいのか。

その虚無感を、感情描写のないN氏から感じる。

 

この辺を読むと。

 

少し恐ろしい方向の結果になるんじゃないかと考えられるけどね。

 

「少年と両親」

ドライに投資を行うことの真実を書き切ってると思う。

結局。ヒトは自分のためにしか動けないんだろうかね。。。